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新名

【しんみょう】 ◇讃岐 ▼本津川中流域に位置する。地名の由来は,新居郷内に成立した新名田であったことによると推定される。 △新名▽ 鎌倉期に見える地名。阿野【あや】郡のうち。嘉元4年6月12日付の昭慶門院御領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)に,讃岐国国衙領の1所として「新居新名」と見える。南北朝期の応安元年,藤中納言日野家の流れをくむ光業が高尾合戦での戦功として当地を与えられ,新名を名乗ったという。同氏の館があったとされる中新名の地には,豪下・石橋・蔵元などの地名が残っている。 △ 新名村▽ 江戸期〜明治23年の村名。阿野郡南のうち。新居郷に属す。はじめ生駒氏領,寛永19年からは高松藩領。村高は,「寛永17年生駒氏惣高覚帳」 675石余,「貞享元年高辻帳」438石余,「天保郷帳」810石余,「旧高旧領」875石余。貢租は高松御蔵納,寛永19年高松藩小物成には綿180目とある。「讃岐国名勝図会」には阿野郡南の土産として切形石があげられている。切形石とは,墓石や灯籠・玉垣といった石材加工品のことと思われる。鷲山では軟質で加工しやすい良質の花崗閃緑岩・黒雲母花崗岩を産し,古代から古墳の石棺の石材産地でもあった。江戸期に築造された比較的大きな池として橘池(水利高800石余)と石船池(同200石余)がある。橘池は満水しておけば心配ないとされるほどの大池であるが貯水には苦労が伴った。それはこの池独自の集水地域が少なかったためで,羽間【はざま】池から橘池まで用水路(掛井手)を約2kmにわたってつくった。このため福家村の庄屋との間で管理や修築は1年交代で当たることにした。石舟に滝宮を経由していく金毘羅道の一里塚があった。当村の庄屋は代々綾田家が勤め,延享年間与市太兵衛,享保〜文政年間喜代次,天保〜嘉永年間綾蔵,安政年間から明治期2代目綾蔵の名があげられている(国分寺町史)。明治維新前後に寺子屋が谷上宅(石舟寺)・上原宅で開かれた。明治4年高松県,同年香川県,同6年名東【みようとう】県,同8年再び香川県,同9年愛媛県,同21年三たび香川県に所属。明治8年の戸数256・人口1,174,反別92町余(梶山家文書)。明治5年柏原・新名・福家の3か村が満善寺の教場を学校とした。同8年新名小学校を開設,同20年学区改正で新名簡易小学校となる。同23年山内村の大字となる。 △ 新名▽ 明治23年〜現在の大字名。はじめ山内村,昭和30年からは国分寺町の大字。明治24年の戸数217・人口1,311(男671・女640),幅員東西25町・南北15町,寺1,学校1,水車場2(徴発物件一覧)。同25年新名・福家両小学校を統合して福家に山内小学校を開校。県営国分寺団地 (600戸・20ha)をはじめとして,近年団地が急増している。

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角川地名大辞典より


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Last-modified: 2009-01-26 (月) 18:24:00 (5561d)