香川県/橘池/文献

讃岐のため池誌

記載事項

羽間上池 872p

羽間上池の下に香西池があった。現在は物流団地になっている。当地を支配していた福家氏と同族の香西氏の所有であった。

石舟池 874p

1686年の「翁嫗夜話」に記録あり。

橘池 876p

  • 野揺天満宮が堤防の上にあった。現在、岡内彦太の屋敷内にある。
  • 野揺という地名。堤防の決壊部分は谷状に深くなり、旧堤防上の道も深く凹んだ谷のようになって残っている。
  • 寛永年間(1626-)の大干魃で藩主が西嶋八平衛に命じて池を築造
  • 高松藩「池記録」に記録あり
    • 一■目東之方返り堤有 亀甲
    • 一東者福家村堤返り堤 根置き七間 高弐間半 上巾弐間 長三拾間
    • 一南者火ノ山下西ハ鷲ノ山下ヲ用
    • 一北兎子御林本堤 根置弐拾弐間七歩 高四間七歩 長百四拾六間 上巾四間余
    • 一右掛井出凡長四千五百余 但千■村渋川より井口横井立陶村高司池実光池田池ノ後夫より福家村羽間池より■池江掛ル
    • 一同内山掛井出鷲ノ山より■池迄長五百間余 但横井壱ヶ所
    • ※■は適切な漢字わからず。。。
  • 下流の野揺の池跡は広大で肥沃な水田が約六十町歩も開拓されたという
  • 満水していれば心配ないとされたこの池でも、さきの新田開拓によって水不足をきたし、福家村にある羽間池の下に池を築き(現在の羽間下池付近)約二キロの掛井出を掘って羽間池の余水を導水することとした。
  • 岡内彦太氏所蔵の「岡内系譜」によれば、「岡内家七代彦左衛門、文政四年に福家村の羽間池より、橘池まで引き入れる羽間掛井出を掘り、福家村庄屋の綾田氏と橘池総代岡内彦左衛門と評議の上で開発した」「掛井出の管理や修理は綾田氏(福家村)と岡内氏(新名村)で一年交代で当たることにした」とある
  • 橘池の堤防工事の際にこの導水路を使って導水試験をしたが、うまく導水できなかった。想像するに、当日もうまく導水できず、以来この水路は放置されてきたのではないか。
  • 昭和30-31年、団体営老朽化ため池整備事業で、東堤約81メートル、事業費八三三万円余をもって、昔ながらの千本づきで堤防の前付盛土補強をした

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Last-modified: 2011-05-08 (日) 14:16:00 (2938d)