香川県/橘池/文献

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山内村史

記載事項

目次が非常に大雑把であったため、概略を知るのにも中身を読まねばならなかった。 各巻を斜め読みし、散在している橘池に関連する事項をかき集めた。 精読するともっといろいろ出てくるのかもしれないが、それは後世に委ねることとする。

巻2

  • 第一章 郷土の沿革
    • 第四節 明治大正時代
      井手之用水浚御夫淀法御渡し方
      (中略)
      一、橘池羽間掛井手 人夫六拾貳人
      一、同池内山掛井手
      (中略)
      諸池之用水定浚
      一、橘池用水井手 人夫拾八人
      とあり、土木工事の規模を記録している。

巻3

  • (所在忘却...) 岡内禎二の功労
    一、橘池の堤防修築
    居村((当村、という意味か))橘池は従前堤防薄弱にして強雨の折は村民其の危険を恐れ爲に夏季切要の用水を満貯せしむる能はざるを慨き去る二十四年懇切水掛に説く所あり
    工費八百円を投じて工事を了■■に至れり
    ■■於て■めて村民の不安を解き併せて用水の豊富を得たるに至れり
  • 第五章 人物
    • 第四節 軍人
      橘池北西角にある墓碑についての記載あり(参考情報)。
      墓碑文爲
      (略)
  • 第七章 産業組合
    • 第一節 産業組合 大正十四年の灌漑雨水の状況
      一、本年は昨年以来春季に入るも降雨少なく麦作被害あらんとし民家飲用水に窮せんとする迄に至るの折柄四月四日一■の降雨あり
      民衆組成の思いあり併し溜池の貯水未だ何れも僅少なれば本年は旱魃の兆ありとて一般に憂ふるもの多く
      今後の好雨を臨むこと切なり為めに挿秧((そうおう。田植えの意。))時は非常の困難を経たり
      然るに六月末に至り好雨あり
      其後適当の時期に方り降雨ありし為め遂に旱害を免かれ一同大に神秘の天祐を感謝せり
      挿秧時に於ける各溜池の水量概ね左の如し 
      一、鵜生池
      春季一ノ江水買い入れ取溜めたるにより約八合水
      一、橘池
      約三合水
      一、石船池及羽間池
      各約五合水
      一、其他大同小異なり
      右様の次第なるに本年の麦作は寧ろ方お咲にして米作亦平年作を獲得せり
      而して上り小池掛等の一部は旱害を蒙り収穫減少の模様なりしなり

巻4

  • 第十二章 産業
    • 124P 池之部
      一、橘池 水掛り新名村 高八百五拾石余
        附く
        一、臺目 東通り堤に有但し亀甲
          一、東は福家村堺通り堤 ■((木偏に良))置七間
                     高 二間半
                     上巾 二間
                     長 三拾二間
          一、南は火の山下用ゆ
          一、西は鷲の山下用ゆ
          一、北は■((草冠に宝?))御林本堤也 ■((木偏に良))置二拾六間
                                              高 五間半
                                              上巾 四間半
                                              長 百四拾間
      一、上櫓 一ヶ所
          一、柱 六本 長二間一尺
                      廻二尺一寸
          一、梁 三本 長一丈
                      廻二尺一寸
          一、桁 二本 長一丈一尺
                      廻一尺八寸
          一、貫 五本 長一丈
                      廻二尺一寸
          一、寸本木 一本 長二間一尺
                      廻二尺四寸
          一、櫂木 八本 長八尺
                      廻一尺五寸
      一、下櫓 一ヶ所
          一、柱 六本 長二間一尺
                      廻二尺一寸
          一、梁 三本 長一丈
                      廻二尺一寸
          一、桁 二本 長一丈二尺
                      廻一尺八寸
          一、貫 五本 長一丈
                      廻二尺一寸
          一、寸本木 一本 長二間一尺
                      廻二尺四寸
          一、大口木 一本 長二間一尺
                      巾指渡一尺
          一、櫂木 八本 長九尺
                      廻一尺五寸
      一、本揺■((木偏に舟))木打盤共 長二拾八間
                                    揺内法七寸
                                    横巾一尺三寸
                                    高一尺二寸
                                    厚三寸五分
      一、立樋■((木偏に舟))木盤共   長二間一尺
                                    揺内法
                                    厚二寸五分
                                    打盤長一尺一寸
    • 橘池について記載あり。141P
      橘池揺に関し入割の出来たる時の書留為
      橘池上揺竪樋蓋板寸本穴廣さ并に穴口へ鉄張歩之書之事
      一、當村橘池上揺竪樋寸本穴寸分之義者先年安永九子年上分水掛り入割に相成候所
      於いて御役所に御裁許被下穴寸分は四寸四分に而水入方者一同替り之番水に被仰付
      候御裁許に而して済来居申候
      然る所當年右竪樋蓋板朽損に相成申候に付當用水浚右蓋板仕更致候由に付何願風聞
      に上分之水掛より寸本穴禿廣り不申様鉄張に致度由之噂を聞付
      元来安政九子年より御裁許済に而其以前より穴挟り居候事故
      右池水掛之内何れより相好み候共鉄張に者不致候様下分水掛より申出候に付
      當七月廿日右池水掛一統拙宅へ呼寄蓋板仕更候共鉄張に者決し
      而不致様申聞決着仕居申候所八月十八日に岡内禎蔵岡内喜太夫百姓善蔵氏三人之了簡に
      而右板仕更穴口へ鉄板候に付下分の水掛より前以鉄張致さず様評義済之所右三人より
      我儘に竪樋蓋板仕更致其上鉄張致候而者甚難澁之趣に願申出候に付月番之大庄屋
      奥村藤次郎殿御手元へ願申出之趣申出候所期日に池部帳を取調記録面之通御取扱
      被下候様被仰聞に有之候所其後九月四日に御同役亀山松之丞殿より新居庄屋末沢
      三十郎并福家庄屋平尾十太郎内扱に御仕向被下右兩人之取斗に而之迄之四寸四歩之穴を
      五寸に致し穴口へ鉄張に致候様取斗に付水掛一統一和順納得仕事済に相成候依
      之右穴廣け五寸に而鉄張之義共水掛一統より願書差出候所十一月廿四日に右願之通り相済候段
      亀山松之丞どのより被仰聞候に付き再應板仕更穴五寸に致し穴口へ鉄張致候依之
      氏時之願書扣へ并に前文之歩之爲後證之如乱書記置き申候以上
      庄屋 綾蔵
      安政三辰年 十一月下旬書之
    • 146P
      井手之部
      一、橘池羽間掛ケ井手
       但し千疋村渋川より井口横井立陶村高司池夫より實光池を渡り夫より福家村羽間池
        堤より橘池まで凡四千五百間余
      一、橘池内山掛井手
        但し鷲の山より橘池迄井手長五百間斗 横井一ヶ所
    • 橘池水利に関する紛擾の顛末
      橘池水利に関する紛擾の顛末
      大正十一年秋本縣下に於て行はれし陸軍特別大演習記念事業として大正十二年春
      橘池に機械揺を装置せり其後水潤に恵まれて無事なりしが大正十五年翌昭和元年
      に至り春雨僅少にして貯水少なく一般憂慮するに至る茲に於て池惣代■相謀りて
      古来未だ其例を見ざる前慣を破り應急策として仝二年七月廿九日より底揺の
      抜き添へを行い灌漑挿秧を終了せしめたり然るに同年七八月頃より果然問題起る
      即ち機械揺を取附けしにより揺小となり水量少なし依て元の如く揺を大きく
      せよとの議なり
      由来同池の揺は昔は口経四寸より五寸に直し金板を張りし者なりしが
      中途何時の頃よりか判明せざりしも金板亡失し為めに少しは水量増加し居りし
      者ならん茲る於て口経狭くなりしと主張するものを機械揺とせし為め従来と
      異なりしとは思はずと主張する惣代側と二説互いに固守して讓らず
      遂に惣代側は記念事業として施せし機械揺を取除き同時に惣代を辞す
      反目は久ふして橘池掛茲る一大紛擾を演するに至る
      同年十月に入り降雨の為め上揺に三者くに達する水量を得て同池上下掛りの
      紛擾極度に達す茲る於て始め調停の議■種々の案件を作りて調停を試みしも
      一向渉らず遂に松本村長同池水利長代行者となり之が調停の任に當る
      田中彦之郎同顧問となり議事に参与す十月五日仝池掛總會を満善寺に
      招集し一つの規約を作り之を可決す(別紙)然る所十月十二日石船池掛り地主より
      左の講義書出る
      
      抗議書
      一、去る昭和二年七月頃より橘池上揺口経拡張問題紛擾■■■来る■拾月十七日
      橘池揺設備変更の件に関し橘池配水土地所有者總會開催の由■り候ふ
      付ては右總會に於て議事若し上揺口経拡張の件又橘池貯水石船池用水に
      満入したる場合橘池上揺底揺同時に開放するの件に及ばば石船池配水土地所有者
      我に共に於ては意義有之候
      依て連署の上此段豫め抗議申込候也
         昭和二年十月十二日
      橘池水利長代行者山内村長松本熊蔵殿
                         糸瀬庄吉
                                            糸瀬重太郎
                                   外■掛九拾六名 連署
      
      一、十月十七日の第二總會を招集松本水利長代行者議長席に着き議事に入る
      論議百出議事進まず翌十八日に至り暫く左の変更案を得て四ヶ月に亘る
      さしもの紛擾は目出度解決するに至れり
      
      第壱号
      橘池揺設備変更案
      一、上揺の口径五寸参分とす
      二、揺下の石穴を立樋用一寸法とす
      三、石船池に対しては橘池用水を石船池用水に混用灌漑慣行に基き其期間中
      上揺に相當の減衰法を施すべき事
      
      右は委員に於て凝議決定したるものなるに依り代行者に於て更らに
      原案として總會の新基に附するものとす
      昭和二年十月十八日提出
      山内村大字新名橘池水利會
      代行者松本熊蔵
      
      右可決確定ス
      
      第弐号
      水利會規約一部改正の件
      一、本規約中左の通り一部改正を加ふる者とす
        記
      第十一條 本會に顧問若干名を置く
          顧問は水利功労者中より總代會に於て推薦し水利長之を嘱托す
             顧問は會議に列席するも議決の数に加はらざるものとす
      元第十一条を第十二条に定め順次繰下げするものとす
      右提出す
      昭和二年十月十七日
      橘池水利會
      代行者 松本熊蔵
      
      右原案可決確定ス
      
      總會に於て役員選挙の結果左の通り当選就任す
      橘池水利長 糸瀬重太郎
      同顧問 津川友次
             福井虎三郎
             福井數友

☆このくだりの後に水利會規約の全条項が記載されている。割愛する。

所感

  • 詳細な記述がなされている箇所が多数あり。歴史的資料としての価値があると思われる。
  • 記事の出典情報が少なく、基礎資料なのか援用なのかの判断は至難。
  • 大正時代の橘池についてはおよそわかってきた。

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  • 2011.5.5 高松市歴史資料館を訪問して閲覧
  • 2011.5.8 create

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Last-modified: 2011-05-08 (日) 20:00:00 (2992d)